インタビュー&レポート

万年筆を愛する人のために 〜ペン先職人 長原幸夫の仕事〜

作業中の長原さん

普段、万年筆の「書き心地」についてじっくりと考える機会はなかなかないと思いますが、書き心地の良し悪しは、日ごろの書く楽しさを支える上でとても大切な要素です。そんな書き心地を考える上でどうしても気になってくるのが、一人ひとりが持っている固有の「書き癖」のこと。

長年の書き癖とせっかく手にした万年筆が合わず、自分では原因がわからないまま、「書き心地が悪い万年筆だ」と判断してしまうのは、もったいないことだと思います。

大切な一本だからこそ、自分の書き癖に合わせた書き心地に調整できたら・・・。そんな万年筆ファンの想いを実現する方法のひとつを紹介します。

今回は、万年筆をペン先職人に調整してもらうことで、実際に、万年筆の書き心地や見た目にどのような変化が生まれるのかを検証してみました。

万年筆のペン先職人『長原幸夫』さんのプロフィール

作業中の長原さん

今回ご紹介するのは、長原幸夫さん。ペンのメンテナンスや調整をするペン先職人として、セーラー万年筆に長年勤めてこられた、ペン先のスペシャリストです。

セーラー万年筆を退職された現在も、ご自身で万年筆に関する様々な調整を行っているお店『The nib Shaper』を営み、世界各国から届く万年筆に関する相談や悩みを解決されています。

公式HP:The nib Shaper

2007年度厚生労働省の「現代の名工」にも表彰された万年筆職人の父、故・長原宣義さんの元でペン先職人としてのキャリアを積み上げてきた、長原幸夫さん。

その優れた技術は親子三代に渡って受け継がれ、現在はご子息の卓磨さんが隣で活躍されています。

長原さん親子
写真(左)が息子の長原卓磨さん、写真(右)が今回調整をお願いした、長原幸夫さん。
BUNGUBOXの外観
今回は、神保町の万年筆専門店『BUNGUBOX』で行われた長原さんのイベントに参加させていただきました。

BUNGUBOX

東京都千代田区神田猿楽町1-2-3 錦華堂ビル1F

https://bungubox.shop/

調整を行なった筆記具について

今回、長原さんに調整していただいた万年筆は、with ink.スタッフが店頭で購入した『セーラー万年筆 プロフィットライト 万年筆 ゴールドトリム』。ペン先は、太めの筆跡が特徴的な「ズーム」を選びました。

長原さん曰く「使う人の書き癖や用途に合わせてペン先を調整することで、より心地良い「書き心地」に追い込むことができる」そう。

次いでもう一本は、万年筆ではなく、『万年筆ペン先のつけペン hocoro 』の「細字」のペン先を調整していただくことにしました。万年筆インクを扱う筆記具としても選択肢になるつけペンのペン先にも果たして有効なのか、気になるところです。

作業の手順(万年筆の場合)

まず作業に入る前に、今回は、長原さんの前で万年筆を試し書きすることに。すると、普段からものを書くときに、つい力を入れ過ぎてしまう書き癖があることが発覚。

実際のメンテナンスでも、このような流れで、普段ものを書いている様子やペン先の様子を観察をするところから始まるのだそうです。

「市販されている万年筆は、誰でも安心して使える高い水準で品質を均一にしていますが、使う人によっては、当然それぞれに書き癖や固有の持ち方があります。そうしたお客様の目的やご要望に合わせてどのようにペン先を調整するか探ります」(長原さん)

長原さん

他にも普段の万年筆の用途としては、マーカー代わりにラインを引いたり、日記やメモを書くために使っているとお伝えしたところ、今回の調整では、状況に応じて異なる線の太さが引けるようになるという、おすすめの状態にしていただくことになりました。

万年筆の研ぎ作業風景1
① まずは目視で現状のペン先の状態をしっかりと確認。
万年筆の研ぎ作業風景2
② 手作りの機械でペン先を少しずつ調整していきます。
万年筆の研ぎ作業風景3
③ 指先で確認しながら理想的な形に調整していきます。
万年筆の研ぎ作業風景4
④ 途中ペン先の模型を使い、万年筆の書き心地のメカニズムを丁寧にレクチャーいただきました。
万年筆の研ぎ作業風景5
⑤ 円形の紙やすりを使って、ペン先の溝の厚みを適切な幅に調整。

万年筆の調整後

FRONT

万年筆の研ぎ後 front
beforeでは丸みのあったズームのペンポイント(万年筆の先端)が、afterでは細く、鋭くなっています。

SIDE

万年筆の研ぎ後 side
beforeでは内向きに丸まっているペンポイントが、afterでは外に向かって尖っています。

BACK

万年筆の研ぎ後 back
beforeでは丸みのあるペンポイントが、afterでは小さく、鋭く尖っています。

書き癖に合わせた書き心地の変化

万年筆の文字の比較1
ペン先調整を行なう前には、左の「永」の字だった太さが、調整後は、書く角度によって異なる3つの太さで書くことができるようになりました。
万年筆の文字の比較2
見出しと本文、重要な項目へのアンダーラインなどを、一本で書き分けることも可能になりました。
万年筆の文字の比較3
細い線を書くこともできるので、手帳などの狭いスペースにも対応できます。

書き心地については、角度を変えながら書いても癖に合わせてインクが途切れてかすれることもなく、なめらかな筆致を維持しています。

普段、力みがちな書き癖を持っている筆者により合った印象です。

作業の手順(つけペンの場合)

続いて、『万年筆ペン先のつけペン hocoro 』の「細字」の調整です。普段使いをしていたつけペンですが、こちらも癖に合わせた調整が可能なのかお聞きしたところ「可能です」とのことだったので、お願いすることになりました。

調整のポイントは、繰り返し使っていくうちに生じた書いた際のわずかな紙の引っかかり感と、よりインクを長持ちできるような調整をお願いしました。

つけペンの研ぎ作業風景1
① ペン先が癖に合わせてなめらかになるよう調整。
つけペンの研ぎ作業風景2
② 実際に書いてインクの持ちを確かめます。

つけペンの「調整」後

つけペンの研ぎ後
一見すると、beforeとafterに大きな変化は見られないものの…?

書き心地

調整を終えた後は紙との引っかかりがなくなっており、元の通りスムーズな筆記が可能になったように感じられました。

普段つけペンを使っているとき、力み癖が原因だったのか、インクの持ちが思ったより続かないことがありましたが、紙とペンポイントとの接地面がより滑らかになったためか、インクの持続も向上しました。

つけペンの文字の比較1
使いこむうちに生じていた紙との引っかかりがなくなり、スムーズに。
つけペンの文字の比較2
同量のインクをつけた状態で一度で描けるラインの長さを比較したところ、調整後(右)は元の状態(左)から倍の長さが書けるように。

おわりに

万年筆とつけペンの「書き心地」の検証、いかがだったでしょうか。長い年月で癖になったそれぞれの「書き癖」を直すことはとても大変ですが、万年筆やつけペンならば、適正なメンテナンスを行うことで快適に使い続けられることがわかりました。